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『けんちゃんのもみの木』制作秘話

いせひでこ

その子は、私のアトリエに舞いおりた 小さな星の王子さまのようだった。
「ね……もみの木の絵を描いて」
不思議があんまりすぎると、とてもいやとは言えないものらしい。
描いてみせると、王子さまは小さいため息をついてから、こう言った。
「ね、ぼくといっしょに山に登ろう」その声はとても真剣だった。

私と王子さまは、御巣鷹山に登った。
「ここがぼくのおうち」……、「え、…きみはどこに住んでいるの?」
小さな王子さまは黙って空をながめていた。
もみの木のある小さな墓標の横に立って、そこから見える美しい若い森をながめた。
30年前の事故で焼けこげた山にも、風がめぐり雨が降り、
飛んできたタネから新しいいのちが芽生えていた。
シラカバ、ヤマザクラ、カツラ、マツ、ホオなどの木々が生え、
ノコンギクやアキノキリンソウやホタルブクロなどが咲く森が育っていたのだ。

私はだまってスケッチ帖を開いた。
王子さまは小さいまま、ここからずーっと、この森が育っていくのを見ていたのだ。

王子さまは、それからもアトリエにやってきた。
「茜色の空を描いて」
「ぼくね、夕日を見るのが好きなんだ。日の沈むとこ、いっしょにながめに行こうよ……」
王子さまの星はとても小さいらしく、
「すわっている椅子をちょっと動かすだけで、また夕日が見られるんだ」
「いつか日の入りを44度も見たっけ」
1日に44回も夕日を見るなんて、よっぽど悲しかったんだね。
私は心の中でそっと王子さまを抱きしめた。

絵を1まい描くたびに、王子さまはうれしそうにうなずいて、また次の注文を出した。
「こいのぼり」「もみの木」「クリスマスツリー」「ひまわり」……、
そして、ここに来る前に大きなひまわりを育てていた話をしてくれた。
「ぼく、こんなのがほしかったんだ」
もみの木のクリスマスツリーに520の灯がともる絵をじっと見つめていた。
「…そろそろ星に帰らなくちゃ。世界にたったひとつだけの花がぼくを待ってるいるから…」
「ぼくが星に帰れるように、ひこうき雲も描いて」

絵本は、もみの木にともされた520の灯が夜の深い青に帰っていくシーンで終わる。
その星々のどこかに王子さまはいる。そして私たちを見守って笑っている。
小さな星の王子さまーーけんちゃんは、今日も私に話しかけてくれる。
「悲しいときは、椅子をちょっとずらして、ぼくといっしょに夕日を見ようね」
私は、けんちゃんが9才の夏休みに育てていたという、太陽をめぐる花・ひまわり(向日葵)
のことを、今日も考えている。 写真

●「いせひでこ絵本原画展~聞こえた『さよなら』の声」

7月9日(金)~10月5日(火)

「さようであるならば……」
つらい幾歳月をへて、悲しい現実をありのままに受け入れたその先に見いだした未来を照らす灯りと祈り……
【展示作品】
『けんちゃんのもみの木』 美谷島 邦子/文 いせひでこ/絵 (BL出版)
※未公開スケッチ、エスキースも展示
『あの路』山本けんぞう/文 いせひでこ/絵 (平凡社)
『かしの木の子もりうた』 細谷 亮太/文 いせひでこ/絵 ロバート・マンチ/原作 (岩崎書店)